学習院女子大学・学校推薦型選抜小論文/令和3年度模範解答例

問2

筆者は、歴史とは終わりのない議論の過程と定義するべきだとしている。歴史家としてはこのような定義を認識することは容易である。一方、歴史を歴史家から受け取る側である一般市民としては、歴史は常に変わりうることを認識することは容易ではない。たとえば、日本と韓国の間にある歴史認識のずれが挙げられる。双方の国民が、それぞれの国の歴史家の提唱する歴史を事実だと考えている。ただ、日本と韓国の間の歴史認識は、植民地に関するものを含め隔たりがある。これはそれぞれの国の一般市民が、歴史を固定されたものだと考えていることに起因するだろう。また、歴史は継続的なものだとしても、一般市民はそれを簡単に受け入れることは難しい。政治的、社会的課題を考えるには、一定の固定された考えをもつことが要請されるからだ。このように考えると、歴史家が、一般市民に対して、そのときどきで妥当と考えられる歴史観を提供することが重要であろう。すなわち、定まらない歴史を開陳するのではなく、その時点で歴史家たちが概ね妥当と解する一定の歴史を提示するのだ。これにより、一般市民は一定の歴史に基づいて議論を重ねることが可能になる。歴史が更新されるのを認めつつも、現時点での歴史を一般市民が共有することにより、将来に向けた社会的議論が可能になるのである。