タイトル:「『体感』から生まれる日本の躍動」(17文字)
資料の文章では、次のような地方の町が描かれている。かつては炭鉱町として栄えた町が、活気を取り戻すべく文楽人形芝居を催し、新しい文化を発信する姿である。では、芸術文化を活用して、これからの日本を豊かにするにはどうするか。私の考えを述べる。
芸術とは、資料にある小坂町で行われた文楽人形芝居のような、作者や演者と観客とのコミュニケーションによって生まれるものである。なぜなら、自分を発信したい人間と、それを受信する人間の双方がいてはじめて、「芸術作品」が成り立つからだ。その一方で、芸術が、商業的なコンテンツとして「消費」されている現状がある。つまり、芸術作品が、商業主義の下で簡単に捨て去られるということだ。芸術の浪費ともいえる状況では、作者や演者と観客との相互作用が生まれるはずもない。その結果として、芸術自体が行き詰まっていると思う。そこで、地域で脈々と伝えられてきた芸術こそが、日本を豊かにするはずだ。
そもそも、「豊かさ」とは何か。私は、「豊かさ」には二つの意味があると考える。まず、心が活き活きしているという意味だ。また、経済的な豊かさという意味もある。「心の豊かさ」と共に、「衣食足りて礼節を知る」という言葉のように、経済的豊かさがなければ、心は荒む。そのため、人間、そして国は、心の豊かさと経済的豊かさがあってはじめて「豊か」だと言える。ではどうするか。まず、地方の住民が、独自の歴史や文化を見つめ直すことが不可欠だ。また、日本に、海外からの人々をも呼ぶことも必要だ。具体的に言えば、地方の芸術的な資源を、地域の人々はもちろん、外から来た人々も「体感」することだ。私自身の経験に、地域の商店街を活性化させた事例がある。その商店街の店が、沖縄三味線の演奏会を定期的に催した。演奏会は三味線の演奏からはじまるが、そのうち太鼓が出てきて、それを観客がたたき、さらには民謡を歌いはじめる人が出てくる。最後には全員の大合唱で終わる。これが他の地域からも人を呼び、その商店街は活気づいた。単なる演奏だけではない、演者と観客との意思の疎通があった。まさに観客がその空間を「体感」したのである。こういった取り組みが各地にあれば、日本の外からも人を呼び寄せる。
このような地道な活動を経て、日本は、心の豊かさと経済的な豊かさの両方を手にすることができる。地方の芸術を皆が体感し共有すること、それが日本には必要だ。
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